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私の視聴室

第3回
「シリーズJAPANデビュー・第3回・通商国家の挫折」
(NHK 6月7日21:00~)


 「シリーズJAPANデビュー・第3回・通商国家の挫折」と題する日本の近代史を三井物産の歴史を軸にここ150年を米国、中国との壮絶な駆け引きと原油というエネルギーの争奪戦を交えて、過去の日本の宿命を検証した。そして今後日本は何を大切にし、またどんな国家戦略を優先しなければならないのかを分かりやすく、三井物産戦略研究所・寺島実朗の解説を交えて解説した秀逸の作品であった。以下はその要約分。

三井物産創業の背景

 政府の大隈重信の求めにより江戸時代からの豪商の三井が貿易会社・三井物産を興した。社長には27歳の益田孝。三井家は貿易はリスクが高いとして出資しなかった。資本金ゼロ、社員16人でのスタート。翌年、益田は上海に渡り、海外支店を構えた。ここを拠点に米や石炭などの一次産品の輸出で中国との貿易を始めた。中国の人口は世界最大の3億人といわれていた。ヨーロッパの産業革命まで中国は世界の富の中心地で、巨大な購買力を目指して列強の貿易商が殺到していた。日清戦争の頃になると日本の工業化が進み、三井物産は中国市場に向けて綿製品の輸出を始めたが、上海では糸の細い英国製が好まれた。日清戦争中に行われた山本条太郎による満州からの報告書では、現地では米国製の厚地のもの(土布)が好まれた。三井では米国製品に対抗する日本の綿布について話し合われ、価格を下げることとなった。束華大学人文学院・陳祖恩教授、ロンドンスクールオブエコノミクス経済史学部・ジャネットハンター教授、三井物産戦略研究所・寺島実朗会長コメント。

日露戦争と綿布市場

 米国に対抗するため三井物産はインド・ムンバイに支店を持った。社員はデカン高原まで足を運び、綿花を直接買い付けた。他の国がやらない方法で安い原料を輸入。日露戦争をきっかけに満州の米国製綿布を追い落とした。また戦争が始まると軍の後方支援に当たった。さらに物資を買占めロシア軍が物資を調達できないようにした。三井の益田には綿布を売る秘策として「軍用手形(外用通貨)」を考えていた。銀を国外に持ち出したくない日本に対し、益田は中国人が生活必需品の綿布と軍事手形を交換することで処理するように政府に申し出た。条件として1年間輸送の南満州鉄道を無料に、船賃を半額にしてほしいと政府に要求し、回収した手形は日本の金融機関との決算で使うことで銀を国外に流出することを防いだ。これにより米国製綿布より2割安い価格を実現した。1910年には満州での世界からの輸出の60%のシェアを占めた。三井物産戦略研究所・寺島実朗会長コメント。

中国市場をめぐる日本と米国の戦い

 「二十一ヶ条要求」を中華民国が受諾したことで、激しい排日運動が起こり、日本製品ボイコットとなった。特に異議を唱えた国に米国。ブライアン国務長官は声明で、日本が中国市場を独占することに反対を示した。ハワイ、グアム統合と太平洋からアジアへと足場を広げた米国は中国への進出に弾みをつけた。しかしすでに列強が進出しており、その米国が中国に「門戸開放」「機会均等」「領土保全」の3原則を示した。パリ講和会議で中国は日本に山東省の返還を要求。それが認められなかったため「五・四運動」という大規模な排日運動が全国的に広がる。孫文も日本への対応を変えた。29年の大恐慌で日本は世界各国と貿易をめぐり対立を深める。当時の大蔵大臣・高橋是清は景気対策に乗り出し、円安によって輸出を促進することで不況を克服しようとした。円安により三井物産も息を吹き返し、世界の支店を拡張。扱う品目も100を超えていた。特に綿製品は世界中に輸出攻勢がかけられた。三井物産戦略研究所・寺島実朗会長コメント。(409秒)

日本の原油調達を阻む米国

 日本が油田を探した場所は傀儡国の満州、すでに石油製品の販売はスタンダード社とロイヤルダッチシェル系の会社が押さえていた。満州国は法律・石油専売法を制定。満州で油田を探す満州石油には三井物産も出資。日中戦争勃発後、近衛内閣は東亜新秩序声明を発表し「日満支」ブロック経済圏を宣言。それは門戸開放を主張した米国との対立に発展した。米国国務省では通商条約の破棄、報復関税措置、貿易の制限など対日経済制裁が検討された。三井物産はメキシコの支店に石油の調達を命じた。三井物産はメキシコで現地法人の長淵商店を通して取引し、38年第一便が日本に向け出港。ところが2年後メキシコ政府は日本への石油輸出を突然停止。米国はメキシコとの関係を修復し、南北アメリカと英国連邦以外には石油を輸出しない経済協定を締結したため。横浜正金銀行NY支店には出所不明の多額の預金が現れ調べると、口座の持ち主は日銀で、米国で金を売って得た資金。米国政府はこの資産を隠ぺい資産と判断。三井物産戦略研究所・寺島実朗会長、元メキシコ石油公社社員・ラウルサリナスアラゴン、歴史家・エドワードミラーのコメント。(946秒)

日米開戦

 40年米国は日米通商航海条約を破棄。いよいよ経済閉鎖が始まった。ヨーロッパではオランダ政府が英国に亡命。日本はこの混乱にオランダ領東インド政庁に石油購入を希望。交渉には三井物産会長の向井忠晴が参加。交渉は順調に進んだが、裏では米国が動いていた。日本がナチス・ドイツと同盟を結んだことが決め手となり、交渉は思った結果にならなかった。41年に在米日本資産を凍結。日本がフランス領インドシナ南部に進駐したことで米国はついに日本への石油輸出を全面停止。4ヵ月後太平洋戦争が始まった。オランダ戦争資料研究所・ピーターポスト主任研究員、益田孝の子孫・益田信一、三井物産戦略研究所・寺島実朗会長のコメント。(559秒)