80年代の地域情報化が失敗した理由
日本では高度成長が終わった70年代に、生活圏としての「地域」や「コミュニテ
ィ」が見直され、「地方の時代」や「定住圏構想」が打ち上げられた。それを受けて
、80年代に入り情報化が日本でも国の大きな課題になった際に、情報化を推進する
対象として「地域」や「コミュニティ」に焦点が当たり、83年ころから郵政省や通
産省などが地域情報化のための施策を次々と採用したのである。
しかし、そのような80年代における地域の「ニューメディア」推進の動きは、期
待された効果を上げることなく失敗に終わった。その理由は以下のようにまとめられる。
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「まず情報化ありき」ということで、中央省庁が地域の情報化を推進しよう
としたこと自体に問題があり、地域のニーズに応えるというよりも、国の施策として
各省庁の予算獲得の道具になってしまった。さらに国の施策に乗って、供給側の大企
業が情報通信機器の売り込み合戦を演じたことも、地域のニーズからの遊離を助長した。
- 地域やコミュニティのニーズについても、当時直面する問題はたとえば産業
公害問題のように比較的単純明瞭で、情報化以前の政治や制度のレベルで解決可能で
あり、また解決すべきものであった。
- 地域レベルで人が育っていなかったために、コンピュータを扱える人が少な
く、導入された情報システムを地方のニーズに合わせるように応用したり修正したり
することができなかった。
- 当時の情報システムが大型コンピュータを中心とする集中管理型であったた
め、導入や維持のコストが高く、小規模な地域のニーズとのミスマッチが大きかった。
- 情報通信インフラの整備も不十分でコストも高く、特に地方に行くほど通信
費が割高であった。
以上の点に加えて、当時の情報システムに適合し積極的な導入を図った大企業が東
京に集中した影響が各地方に及び、地域情報化の芽を押し流してしまったことも大き
な要因であった。
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