立川談志死去

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立川談志死去
23日16時から25日午前中までで
12時間超の巨大報道

■ニュース例示

2011-11-23 16:23:00 TBSテレビ【Nスタ】
速報・落語界の風雲児・立川談志死去
落語家の立川談志が亡くなっていたことが分かった。75歳だった。関係者の元に立川談志の家族から今日電話があり「2日前に亡くなって家族だけで密葬を済ませた」と連絡があったという。立川談志は1952年に5代目・柳家小さん師匠に入門、1963年真打ちに昇進し5代目・立川談志を襲名した。「笑点」の初代司会者を務めるなどテレビでも活躍し、落語「立川流」を創設して”落語界の風雲児”と呼ばれた。1971年には参議院議員に当選、三木内閣では沖縄開発庁の政務次官に就任したが、酒に酔って会見に臨むなどして36日間で辞任。近年は声門がんを患い、今年に入ってからは高座も休み療養していた。2007年にはTBSの「筑紫哲也ニュース23」に出演し当時の政治について語った。立川談志のコメント(2007年当時の政治について)。林家三平のコメント。2007年7月放送「筑紫哲也NEW23」、「カーズ2」ブルーレイ発売記念イベントの映像。 (142秒)


2011-11-23 21:00:00 NHK総合【ニュースウォッチ9】
天才肌・破天荒…立川談志・死去
天才肌で破天荒、古典落語に新たな境地を開いた立川談志が死去。書籍「人生、成り行き-談志一代記-」の内容を紹介。昭和11年に東京文京区に生まれ、16歳で五代目・柳家小さんに入門。27歳で真打ちに昇進し、五代目・立川談志を襲名。民放の演芸番組「笑点」の初代司会者。古今亭志ん朝らとともに四天王と呼ばれ落語界をリードしてきた。昭和58年に真打ち制度を巡る対立で落語協会を脱退し「立川流」を創設。昭和46年に参議院議員選挙に立候補し当選。沖縄開発庁政務次官を務めたが、酒に酔った際の発言が問題になった。独演会で訪れた新潟県新潟市の田園風景にかつての東京を重ね合わせ、毎年のように訪問。ここ数年は相次いで病に襲われた。昭和53年・夜の指定席、講談社「立川談志遺言大全集」、昭和38年放送・夢であいましょう、昭和60年放送・演芸指定席、平成19年放送・立川談志71歳の反逆児、平成21年放送・100年インタビュー「立川談志」の映像。落語ファン、弟子・立川談笑、イラストレーター・山藤章二、和田義昭のコメント。映像・平成14年。 (390秒)


2011-11-24 06:00:07 フジテレビ【めざましテレビ】
遺族会見・故立川談志・闘病生活明らかに
喉頭がんで死去した落語家・立川談志の遺族が昨日記者会見を行い闘病生活を語った。遺族によると立川談志は3年前、喉頭がんに成その後回復も去年11月に再発。医師から家族には余命2・3カ月と告げられていたという。その後も立川談志は高座に上がり続けたが今年3月気管切開手術を受け会話ができない状態となった。葬儀は密葬で行われた。立川談志の長男・松岡慎太郎、長女・松岡弓子の会見、立川志の輔(昨日)、桂三枝(昨日)コメント。立川談志の映像。 (116秒)


2011-11-24 06:33:01 テレビ東京【Newsモーニング・サテライト】
立川談志・死去
落語家・立川談志が喉頭癌で亡くなっていたことがわかった。75歳だった。立川は1997年に食道癌、その後喉頭癌を発症したが、声帯の摘出手術は本人の希望でしなかった。最期まで高座に上がることにこだわり続けた。「人に歴史あり」の映像。 (31秒)


2011-11-24 06:51:08 日本テレビ【ZIP!】
立川談志・死去・各紙が一面
落語界の風雲児と呼ばれた落語家・立川談志が、喉頭がんのため東京都内の病院で75歳で亡くなった。亡くなる3週間前から一度も意識が戻ることがなかった。けさのスポーツ紙各紙は一面で伝えている。16歳で入門し、古今亭志ん生、三遊亭圓楽、春風亭柳朝と落語四天王と呼ばれ落語ブームを巻き起こし、1966年には「笑点」を企画し初代司会者を務めた。交遊関係も広く、明石家さんま、ビートたけし、笑福亭鶴瓶ら後輩芸人をかわいがっていた。特にたけしとの交流が深く、ツービート初期のころから才能を買っていた。立川流への入門を認め「立川錦之助」の名前を与えている。今後の立川流について立川志の輔は「一門で考えていきたい」と語り、師匠の遺志を引き継いでいく決意を示した。上方落語協会会長・桂三枝は、若手時代に談志から落語を習うなど深い交流があった。密葬はきのう都内の斎場で近親者のみで営まれた。後日、お別れの会が開かれる予定。日刊スポーツ、林家ペー撮影の写真、スポーツ報知、スポーツニッポン、サンケイスポーツの映像。立川志の輔、桂三枝のコメント。 (215秒)


2011-11-24 07:34:28 テレビ朝日【やじうまテレビ!】
追悼・立川談志死去・発言でつづる波乱人生
落語界の風雲児・立川談志が死去した。立川談志の破天荒な発言について。27歳にして立川談志を襲名し1963年に真打に昇進。1971年に参議院の全国区で初当選。沖縄開発庁の政務次官を歴任するなど6年の任期を務めた。1983年には真打制度などをめぐる対立で落語協会を脱退。立川流を創設し初代家元になった。1999年、居眠りしていた客を寄席から追い出し裁判沙汰に発展。1992年には瀬戸内海のサメを退治するとシャークハンター必殺隊結成。1997年に高座で食道がんであることを告白。持病の糖尿病などが悪化し体調は好転せず、去年4月には高座後の会見で体調と落語への思いを語った。立川談志(高座直後の会見・去年4月、政界引退会見・1977年5月、家元制度スタート会見・1983年11月、モーニングショー・1987年1月9日放送、徹子の部屋・1990年12月17日放送、1999年1月、1992年3月、病状報告会見・1997年9月、高座後の会見・去年4月)のコメント。 (445秒)

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