森鴎外(本名:森林太郎)は、十一歳までこの地で学び上京。二十歳で
東大医学部卒業、陸軍々医に任ぜられる。その後ドイツ留学すること五年、
衛生学・文学・哲学・美学を研究。帰国後累進し軍医総監、後に帝国博物館長、
帝国美術院長等となる。
■森鴎外旧宅
十一歳、上京するまでこの屋敷で過ごした。今でも往時のまま保存され、庭園には
鴎外遺著「うた日記」中のぼたんを刻んだ詩碑が建立されている。
■森鴎外記念館
記念館では、鴎外の生涯と文豪の名に背かぬ幾多の名作をみることができる。
■西周旧居
明治文化の功労者の一人であり、我が国哲学界の先駆者。
森鴎外とともに文化人切手の中に収められている。
■覚皇山永明寺
吉見頼弘公創建、吉見・坂崎・亀井歴代城主の菩提寺。
往年は学校として雲水の養成に努めた。境内には悲恋・
坂崎出羽守や、文豪・森鴎外をはじめ有名な墳墓がある。
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